***【書】知的生産の技術

初版はボクが生まれるずっと前、激動の時代1969年。だけどその内容の根本は、全く色あせていません。冒頭の文章から、自分自身が疑問に思っていたことがばっちり書いてありました。。。
いまの学校という制度は、学問や芸ごとをまなぶには、かならずしも適当な施設とはいいにくい。今日、学校においては、先生がおしえすぎるのである。親切に、あまりに親切に、なんでもかでも、おしえてしまうのである。そこで学生は、教えてもらうことになれて、みずからまなぶことをしらない、ということになってしまう。
この問題。60年代にはすでに警告されていたにも関わらず、現代においてもっともっと進んでしまっている気がします。自分自身、自ら学ぶという姿勢が弱いばっかりに『分からないけれどまぁいいや・・・』と、一体いくつの知的欲求を見過ごしてきたのか分かりません。ひとつひとつきちんと向き合っていれば、今頃天才だったかも?と本気で思えるぐらい、今までもったいないことをしてきた気がします。

知識から新しい発想を生み出すこと・・・の一歩手前も大事では?

どういうことおをおしえすぎて、どういう点をおしえおしみするか。かんたんにいえば、知識はおしえるけれど、知識の獲得のしかたは、あまりおしえてくれないのである。
『知識を組み合わせて、新しいことを生み出す』ということは、まぁよく言われること。だけど、そもそもその知識というものはどうやって得てくるものなの?どうやって知識を活用するの?改めて考えるとうーんむずかしい...知識を生み出すことだけではなくて、その一歩手前の『知識を得ること』、つまり『知識を生み出す基盤を作ること』も同様にとっても大切なことです。『知的生産の技術』はそれらを、頭が良いとか、感覚が鋭いとかいう何か特別な才能によるものではなく、ひとつの体系化された技術として伝えようとしています。(ん?どっかで聞いたことのありそうなフレーズ・・・)

一度にいろいろ出来ないから、分割しよう...

知識はもっているだけではなくて、使わなければしょうがありませんよね。これはもう、ひとりの魅力的な人間になるために必要です。

知識を得てからそれを使うまで、ものすごくおおざっぱに分けると

  • 『知識を収集する技術』
  • 『知識を再生産する技術』
という二つの技術があります。正直ぼくは、あまり器用なほうではありません。だからまずは『知識を収集する技術』をまずは身につけようと思ったのが、だいたい2年ぐらい前。カードを使ったり、デジタルに偏ったり、アナログに偏ったり...まだまだ試行錯誤の毎日です。

2010年、個人的にはそろそろ知識を再生産していきたいお年頃になっております。実は最近、まぁまぁブログを更新するようになったのも、それがきっかけだったりします。

いつも間にか、本の紹介から話がずれてしまいました。。。『知識を収集する』『知識を再生産する』ということも、今後ブログのひとつのテーマとして扱っていけたらいいなぁと、なんとなく思っています。


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2 コメント:

由香 さんのコメント...

盟。
非常に興味深い内容です。
この本読んでみます。

日本は、長い歴史や美しい文化は存在しているけど、特に立派な資源がある国でもなく、これからの時代、何が資源になっていくか?って考えると、「人」しかない。
その人が資源となっていくためには、人を育てる「教育」に力をいれなくてはいけないんだと思う。

自分達が受けてきた教育が全てではなく、
少なくとも私は、働きだしてからの方が自ら学び、学ぶ楽しさや学び方に気付けた。(ちと遅い。。。)
だからこそ、幼少期、児童期、思春期の段階の子ども達に、学ぶ方法、学ぶ楽しさをどうしたら伝えれるかいつも考えてる。

学校はもちろん、社会の中でも、「知的生産の技術」を知れる仕組みや仕掛けをつくれたらいいのかな~

また飲みながら語りたいわ~

chikashimaru さんのコメント...

>由香
自ら学ぶ楽しさ。すごく小さいときには、それだけだったはずなのに・・・小、中、高といつの間にか学ぶ楽しさを忘れていくよね・・・
きっと「学ぶ」と「勉強する」のは違うのかな?「学ぶ」方が自発的な感じを受けるのはなんでだろう?
今度飲みながら、仕組みや仕掛けについて語ろう!プロジェクト化して実行しようぜぃ!